2010年3月25日木曜日

ベネズエラ、ソニーに送電停止 現地法人が節電令違反 - 47NEWS(よんななニュース)

チャベスも一体なにを考えているのか?

【リオデジャネイロ共同】ベネズエラ政府は21日、電力消費の 20%削減を義務付けた大統領令に違反したとして、ソニーの現地法人をはじめ、レストランやホテルなどカラカス首都圏の計約80社に24時間の送電停止を 科すと発表した。同国は、ペルー沖の水温が上がるエルニーニョ現象による干ばつで水力発電所の水位が低下、電力危機に直面している。ロイター通信などが報 じた。

 危機に伴う節電策が講じられている中で初の制裁措置で、22日に実施される。政府は今後、目標が達成されない場合は3日間の供給ストップ、さらに無期限の送電停止もあり得るとしている。

 チャベス大統領は2月上旬、電力危機で非常事態を宣言し、大手企業などに20%の節電を要求、これに反した場合は電力カットを科すと警告していた。


ベネズエラ、ソニーに送電停止 現地法人が節電令違反 - 47NEWS(よんななニュース)

ベネズエラで節電対策をするために、実はすごい商品があるのだ。
すでに日本の各地の工場でも運用されている。 Proパックという商品


なお、わたしの友人の松岡氏が永年、この製品の取扱、および改良を続けている。ベネズエラもこういう製品を使えば、簡単に省エネができるのに

グーグルのない世界について

内田先生のブログより

青くしるした文章の意味が通らない。
ほんもの』に出会えないものが何もない社会
とは一体なにをさしているのだらうか?
後の3つのパラグラフが意味を補足してるのだ
らうか?


グーグルのない世界

中国政府の検閲の停止を求める交渉が決裂して、グーグルが中国から撤退することになった。
香港経由で検閲なしのサービスを開始するが、すでに香港版サイトには中国本土からの接続が困難になっている。
接続者の殺到によるものか、中国政府の妨害かはまだわかっていない。

「グーグルが存在しない世界」に中国が取り残された場合、それがこれからあとの中国における「知的イノベーション」にどれほどのダメージを与えることになるのか、いまの段階で予測することはむずかしい。
だが、この「事件」のよって中国経済の「クラッシュ」は私が予想しているより前倒しになる可能性が高くなったと私は思っている。
中国の経済成長はいずれ停滞する。
それは不可避である。
これまで右肩上がりの経済成長を永遠に続けた国は存在しない以上、中国の成長もいずれ止まる。
その成長をブロックする主因は、「知的イノベーション」の重要性を見誤ったことにある。
中国の危機は「著作権」についての施策において予兆的に示されている。
ご存じのようにかの国においては他国民の著作物の「海賊版」が市場に流通しており、コピーライトに対する遵法意識はきわめて低い。
それによって、現在のところ中国国民は廉価で、クオリティの高い作品を享受できている。
国際的な協定を守らないことによって、短期的には中国は利益を得ている。
けれども、この協定違反による短期的な利益確保は、長期的には大きな国家的損失をもたらすことになると私は思う。
それは「オリジネイターに対する敬意は不要」という考え方が中国国民に根付いてしまったからである。
誰が創造したものであろうと、それを享受する側はオリジネイターに対して感謝する必要も対価を支払う必要もない。
国民の多くがそういう考え方をする社会では「オリジナルなアイディア」をもつことそれ自体の動機づけが損なわれる。
これは論理的には当然のことである。
「新しいもの」を人に先んじて発明発見した場合でも、それはエピゴーネンや剽窃者によってたちまちむさぼり食われ、何の報償も与えられない。それが「ふつう」という社会においては、「オリジナルなアイディア」を生みだし、育てようという「意欲」そのものが枯死する。
みんなが「誰かのオリジナル」の出現を待つだけで、身銭を切って「オリジナル」を創り出すことを怠るような社会は、
いずれ「そこにゆかなければ『ほんもの』に出会えないものが何もない」社会になる。
「オリジネイターに対する敬意」を持たない社会では、学術的にも芸術的にも、その語の厳密な意味における「イノベーション」は起こらない。
イノヴェーティヴな人々はもちろんどこでも生まれるけれど、彼らは「中国にいてもしかたがない」と考えるだろう。
オリジナリティに対する十分な敬意と報酬が約束される社会に彼らは出て行ってしまう。
中国は欧米先進国のテクノロジー水準に「キャッチアップ」する過程で、緊急避難的に「オリジネイターに対する敬意」を不要とみなした。
そのことは「緊急避難」的には合理的な選択だったかもしれない。
けれども、それは社会生活の質がある程度のレベルに達したところで公的に放棄されなければならない過渡的施策であった。
中国政府はこの「過渡的施策」を公式に放棄し、人間の創造性に対する敬意を改めて表する機会を適切にとらえるべきだったと思う。
けれども、中国政府はすでにそのタイミングを逸したようである。
創造的才能を「食い物」にするのは共同体にとって長期的にどれほど致命的な不利益をもたらすことになるかについて、中国政府は評価を誤ったと私は思う。
グーグルの撤退も同じ文脈で理解すべきことだろう。
これは「クラウド・コンピューティング」というアイディアそのものが中央集権的な情報管理政策と両立しえないという重い事実を表している。
私たちはひさしくIBMとアップルのモデルに準拠して、「中枢管理型のコンピューター」と「パーソナルなコンピューター」が情報テクノロジーにおける根源的な二項対立図式だと思ってきた。
グーグルはそのモデルがもう古くなったことを教えてくれる。
世界は情報を「中枢的に占有する」のでもなく、「非中枢的に私有する」のでもなく、「非中枢的に共有する」モデルに移行しつつある。
これは私たちがかつて経験したことのない情報の様態である。
そして、これが世界標準になること、つまり私たちの思考がこの情報管理モデルに基づいて作動するようなることは「時間の問題」である。
中国政府は近代化の代償として、情報の「中枢的独占」を断念し、市民たちが情報を「非中枢的に私有する」ことまでは認めた。
けれども、そのさらに先の「非中枢的に共有する」ことまでは認めることができなかった。
「雲の上」を中国共産党以外にもう一つ認めることについての強い政治的抵抗のためだろう。
グーグルの撤退が意味するのは、一情報産業の国内市場からの撤退ではない。
そうではなくて、ある種の統治モデルと情報テクノロジーの進化が共存不可能になったという歴史的「事件」なのである。
情報テクノロジーの「進化」と切断することがどれほどの政治的・経済的・文化的ダメージを中国にもたらすことになるのかは計測不能である。
それは国産の情報テクノロジー「ミニテル」に固執したせいで、インターネットの導入が遅れ、そのせいで、巨大な社会的損失をこうむったフランスの直近の例とは比較にならない規模のものになるだろう。
隣国の「没落」がいつ、どういう形態で、どの程度の規模で始まるのかについて、リアルでクールなシミュレーションを始める時期が来ていると私は思う。

2010年3月22日月曜日

たった88キロ


山本画伯宅への88キロ さあ、いつ行こうか

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2010年3月20日土曜日

シシュフォスの苦役

内田先生のブログより 抜粋

アルベール・カミュは自作について次のように書いている。
「私は哲学者ではありません。私は理性もシステムも十分には信じてはいません。私はどうふるまうべきかを知ることに関心があります。もっと厳密に言えば、神も理性も信じないでなお、人はどのようにふるまい得るかを知りたいと思っているのです。」(Albert Camus, Interview à ‘Servir’, Essais, Gallimard, 1965, p.1427)
このカミュの言葉にエルサレムの村上春樹は全幅の賛意を示しただろう。
「システム抜き」でも人間はやり遂げることができるか。
ふるまい方を指示するマニュアルも教典も存在しない世界でも、人は「人として」ふるまうことができるか。
もしそれができるのだとしたら、何が人の行動の規矩となるのか。
ほとんどの人はこれからのどうするかを決めるとき、あるいはすでに何かをしてしまった後にその理由を説明するために、「父」を呼び出す。
それは必ずしも「父」の指導や保護や弁疏を期待してではない。
むしろ多くの場合、「父」の抑圧的で教化的な「暴力」によって「私は今あるような人間になった」という説明をもたらすものとして「父」は呼び出されるのである。
「父」の教化によって、あるいは教化の放棄によって、私は今あるような人間になった。
そういう話型で私たちのほとんどは自分の今を説明する。
それは弱い人間にとってある種の救いである。
世界は「父」を呼び出すことで一気に合理的になり、さまざまなものが名づけられ、混乱は整序される。
けれども、そのようにして繰り返し自己都合で「父」を呼び出しているうちに、「父=システム」はますます巨大化し、遍在化し、全知全能のものになり、人間たちを細部に至るまで支配し始める。
「私が今あるような人間になったことについて、私は誰にもその責任を求めない。」
そう断言できる人間が出てくるまで、「父の支配」は終わらない。
「父の支配」からの「逃れの街」であるような「ローカルな秩序」は、そう断言できる人間たちによってしか立ち上げることができない。
カミュやレヴィナスはそう教えている。
私は彼らの考想に同意の一票を投じる。
そして、村上春樹もまた彼らと問題意識を共有しているということについては確信がある。

1時間で30キロ

本日、久しぶりに乗車
サイクルコンピュータで心拍数を115から145に設定する
ケイデンスの回転を90に意識して約1時間走った。
その後なぜか、身体は大変好調である。

2010年3月16日火曜日

Botequim Nova Capela

わたしたちの生活は疎外から逃れることはむずかしい。
でも、今日は空気や風を自分自身の一部と感じる




リオでおいしいビールと素敵な肴を提供してくれるバーのことをBotequimという。
朋友のケイタ君が名店を紹介してくれている。疎外という言葉より、saudadeが似合う街

2010年3月5日金曜日

美女とエミレーツ



一緒に働いてる美女達。

いつも私のことを助けてもらって感謝です。

全員、エミレーツからもらったJACKETを来て撮影しました。

エミレーツの支店長もきっとこれをみて喜んでくれると思うけど。

エミレーツはブランディングがうまくて、名古屋から関空行きのバスも、真っ赤にラッピングして金色のロゴが入った印象だけで、なんの説明もつけずに、お客さんにバスの存在を印象付けてしまった。

いくらいいサービスをしても、人々に受け入れられるのは苦労するのに、サービスの内容を伝えることができたのは、あのラッピングだったと思う。

今度はこの服来てバスの前で撮影しなければ。

2010年3月3日水曜日

Fotografía

いまじゃ、日本でも有名だと思うけど、Juanes のFotografíaは名曲
歌詞を見つけたけど、まだ意味が分からない所がある。

Cada vez que yo me voy llevo a un lado de mi piel
Tus fotografías para verlas cada vez
Que tu ausencia me devora entero el corazón
Y yo no tengo remedio más que amarte

Y en la distancia te puedo ver
Cuando tus fotos me siento a ver
Y en las estrellas tus ojos ver
Cuando tus fotos me siento a ver
Cada vez que te busco te vas
Y cada vez que te llamo no estás
Es por eso que debo decir que tú sólo en mis fotos estás

Cuando hay un abismo desnudo
Que se opone entre los dos
Yo me valgo del recuerdo Taciturno de tu voz
Y de nuevo siento enfermo este corazón
Que no le queda remedio más que amarte


Y en la distancia te puedo ver
Cuando tus fotos me siento a ver
Y en las estrellas tus ojos ver
Cuando tus fotos me siento a ver
Cada vez que te busco te vas
Y cada vez que te llamo no estás
Es por eso que debo decir que tú sólo en mis fotos estás

2010年3月2日火曜日

信じることができれば

表題の『アマゾンでスイミング』の下に記した一説は聖書からの引用のです、最近みつけて気に入りました。

 その時、たまたま開いたページに次の一説がありました。

And now these three remain: faith, hope and love. But the greatest of these is love 1 corinthians 13:13

現代の日本人が失った物が、愛と希望と信仰 
それが失くなった結果、みな何が幸せかわからなくなる

ひとりで生きる老人がモノとテレビに囲まれて、昼と夜を間違えて、朝6時に居酒屋い行き、その入口の前で、訝る。

老人の独居死が問題になるのは、死の問題ではない。その老人の存在の背景に失ったものの大きさが隠れているからだ

2010年3月1日月曜日

DerosaTeam



今日、名古屋のY's roadのオープンで、同僚の久留宮さんと店を見に行った。
コンポがカンパのやつを物色していたら
なんと、DeRosa でも、値札がついていない。

そこに、どこかで見たことある店員さんがいた。よく顔みると
先日まで、Sports depoにいた梅さんではないか。。。
Y's Roadに引き抜かれたそうだ。
とても丁寧な説明が上手で、この人がいなくなったあとの
スポーツデポの売り場はなにか、華がないなと感じていた。

ここまでくるとなんか縁を感じて、買ってしまいました。
分割払い1%金利も効いたなー。
値段は秘密、でもネットにある金額よりだいぶお得

エンゾの本を読んでいたことも影響しただろうな。ところで、ちょっと気がついたけどエンゾ本ってアマゾンで扱ってないみたい。なぜだろう。