1970年代、メキシコ市で民族音楽を研究・演奏していた若い音楽家がベラクルスで当時、純粋なハローチョ、つまりリッチー・バレンスやロス・ロボス、あるいはトニー・ロペスらによって改ざんされたお陰で世界的なヒット曲となった「ラ・バンバ」ではなく、生のままのハローチョで歌っていた老音楽家アルカディオ・イダルゴ(故人)を招いて録音したのがモノ・ブランコ結成の由来
写真家 屋須弘平展 ~写真と遺品が語るグアテマラ移住と望郷~ [www.jomm.jp]
セレーナの日本デビュー作、そして遺作となった『ドリーミング・オブ・ユー』は日本ではとっくに廃盤になってしまったがラテン社会ではまだ生きている。1995年7月、セレーナの死から約4ヵ月後の7月18日に全米で発売されると、最初の週だけで33万枚以上を売った。当時の発売第1週のセールス記録はマライア・キャリーの『ミュージック・ボックス』で17万4千枚であったから一挙に倍の新記録を樹てたのだ。
· 上野清士 店長の Cafe Latina メキシコ音楽事情 [checuba.blog118.fc2.com]
▼見積① 日本酒ラベル
【仕様】
用紙 :アートタック73
糊質 :強粘着糊
サイズ :155×140(㎜)
印刷 :カラー
後加工 :裏スリット入り断裁仕上げ
【枚数】 100枚
本体 : 43,100
配送料 : 0
【消費税8%】 3,448
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合計金額 ¥46,548
▼見積② 日本酒ラベル
【仕様】
用紙 :アートタック73
糊質 :強粘着糊
サイズ :155×140(㎜)
印刷 :カラー
後加工 :裏スリット入り断裁仕上げ
【枚数】 1,000枚
本体 : 49,700
配送料 : 0
【消費税8%】 3,976
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合計金額 ¥53,676
▼見積③ 日本酒ラベル
【仕様】
用紙 :アートタック73
糊質 :強粘着糊
サイズ :155×140(㎜)
印刷 :特色4
後加工 :裏スリット入り断裁仕上げ
【枚数】 100枚
本体 : 48,300
配送料 : 0
【消費税8%】 3,864
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合計金額 ¥52,164
▼見積④ 日本酒ラベル
【仕様】
用紙 :アートタック73
糊質 :強粘着糊
サイズ :155×140(㎜)
印刷 :特色4
後加工 :裏スリット入り断裁仕上げ
【枚数】 1,000枚
本体 : 54,900
配送料 : 0
【消費税8%】 4,392
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合計金額 ¥59,292
メキシコ市中の中心にある大衆音楽劇場のブランキータ劇場のフロアの壁には現在もペレス・プラード楽団の日本公演のポスターが麗々しく飾られているぐらいだ。日本には1956年以来、17回来日公演を行なっている。25日のコンサートの模様を伝えた新聞は、全盛期のペレス・プラードを紹介するなかで、外国での録音活動を紹介し、なかでも日本でのユニークな作品がメキシコでも注目されたことを特筆している。当時、日本の歌曲、民謡を巧みにマンボにアレンジ、ジャケット・イメージも工夫を凝らしたアルバムは日本でもベストセラーになった。
· 10月上旬、米国の著名な音楽誌『ビルボード』がノルティーニョ・グループとして長年、最高の人気を 持続してきたロス・ティグレス・デル・ノルテをメキシコ音楽の牽引者とであると同時に、その社会的な貢 献に対して表彰することを決定した。
· 米国カルフォニア州のサン・ホセ市で1968年、アコーディオン弾きでトップボイスのホルヘ・エルナ ンデスをリーダーに従兄弟たちと組んで結成されたロス・ティグレス。すでに45年という長い活動をして きたが、人気がどうのこうというレベルを超え、いまやメキシコ民衆音楽の権威になった観がある。
· メキシコの都会派、あるいはインテリ層に熱心なファンが多い歌手だ。正直言って、メキシコのポップス好きという若者でもエレーナの存在を知らない者は多いはずだ。無論、日本ではまず無名。だから、「エレーナ来日公演、なんで」というのが筆者の印象だが、思いがけない出会いと率直に感謝した。
· サッカー、野球、ボクシング、プロレス スポーツ以外でも文化、食と素晴らしい国。
·フランシスコビリャとかエミリアーノサバタとかラサロカルデナスとか言ってやれよ。 あそこに在ってアメリカと対峙してきた歴史はグレートだぜ。
·石油資源が豊富で埋蔵量もあって、カリブ海は綺麗で有数のダイビングスポットがあって、GDPや人口も上昇傾向で、アステカ文明がかつてあって、タコス、テキーラなどあって。日本とはFTA結んで、豚肉などよく輸入されていて、過去は日本と日墨修好通商条約を結んでいて、安土桃山から江戸初期に交流あってメキシコの難破船救助が縁で、慶長の使節団がメキシコ経由でローマに行って。スポーツは野球サッカーの強豪でボクシングやプロレスルチャなど盛んで。 まあ前に調べたんだけど、いい印象よ
·最近になって、メキシコ大使館が一番いい場所に建ってて、開国後初めて平等条約結んでくれた国だと知った。 経緯は、開国後、なんか天体観測するのにその年は日本が一番の場所だったらしい。 不平等条約を結んだ各国が我先に良い場所をとろうとした。 メキシコ観測隊もダメ元で日本に交渉したら意外にもOK。お礼に日本人も観測隊に参加させたら、その勤勉さにびっくり メキシコに帰国後、日本は良いよ!日本と平等条約しよう!ということになったらしい
屋須弘平は、幕末から明治へ移り変わる時代の流れのなか、故郷の岩手県藤沢町を離れ、1874年横浜で金星観測を行ったメキシコ科学調査隊との出会いがきっかけで、メキシコへ渡り、そして終の棲家となった中米の国グアテマラで写真館を開きました。その屋須弘平の写真作品とその遺品を紹介することで、130年という時間の中でラテンアメリカの土塊となって忘れ去られた移住者の足跡を21世紀に繋げたいと考えます。
右手に持つのは勝利と栄光のシンボルである月桂樹の冠。
左手には、抑圧からの解放を表す、ちぎれた鎖。

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