2010年12月22日水曜日
2010年12月1日水曜日
こなれた表現 ポルトガル語
1. こんにちは Olá! / Oi! → E aí! / Qual é!
Olá!/Oi!は『こんにちは』のもっと軽い表現ですが、これが若い男性(柔術をやってるようなブラジル人)になるとE aí!とかQual é!になります、、、
こんにちはがさらに砕けて『調子はどう?』みたいなニュアンスでしょうか、、、
2. お元気ですか? Tudo bem? → Beleza? / Firmeza?
Belezaは『美しい・素晴らしい』という意味の名詞です。つまり元気か?と聞くかわりに『調子は素晴らしいか?』と聞いている感じでしょうか、、、
Firmezaは『堅固なこと・揺るぎなさ』という意味の名詞です。つまり『元気であることに揺るぎはないか?』と聞いている感じでしょうか、、、
さらにFirmeza?を省略してFirme?と聞いてくる人もいます、、、初めて聞いたときはFilme(映画)のことかと勘違いしました、、、なんでこの人はいきなり初対面で『映画?』とオレに言っているのかと、、、RとLの発音の違いを聞き取るのは難しいですね、、、
ピンドラーマより
3. ありがとう Obrigado → Valeu
Valeuは動詞Valer(役に立つ)の過去形で、つまり『(あなたのしてくれたことは)役に立ちました』という意味でObrigadoのかわりに使っているのだと思います、、、たぶん、、、
4. さようなら Tchau! → Falou! / Valeu!
Falouは動詞Falar(話す)の過去形で、つまり『もうすべて話し終えた』という感じでさようならのかわりに使っているのだと思います、、、たぶん、、、
さらに『ありがとう』という意味のValeuを立ち去るときに連呼して帰っていく人などもいます。これは日本語でも立ち去り際に『それじゃ、どうもありがとうございました』と言っていく人がいますね。それと同じ感じだと思います、、、
3. ありがとう Obrigado → Valeu
Valeuは動詞Valer(役に立つ)の過去形で、つまり『(あなたのしてくれたことは)役に立ちました』という意味でObrigadoのかわりに使っているのだと思います、、、たぶん、、、
4. さようなら Tchau! → Falou! / Valeu!
Falouは動詞Falar(話す)の過去形で、つまり『もうすべて話し終えた』という感じでさようならのかわりに使っているのだと思います、、、たぶん、、、
さらに『ありがとう』という意味のValeuを立ち去るときに連呼して帰っていく人などもいます。これは日本語でも立ち去り際に『それじゃ、どうもありがとうございました』と言っていく人がいますね。それと同じ感じだと思います、、、
5. わかった? Entendeu? → tá ligardo?
Entendeuは動詞Entenderの過去形で、相手に理解したかどうかを確認するときに使いますね。Ligardoはふつう『電気がついている状態』を示す場合に使いますね。つまり、この場合は『(お前の頭は)電気がついているか?』とうい意味で理解しているか?の意味になります、、、
6. すばらしい! Legal! / Que bom! → Da hora!
Legal!は相手の行動に対して感嘆を表わすときに使いますね。
Da horaに関してはなんで時間を表わすHora という単語を使うのかわかりません、、、知っている人がいたら教えてください、、、Da Horaについて調べました。簡単に言えば、いま流行ってるっていう意味から、カッコイイとかイカスという意味になるそうです。人には使わないみたい
なぜ日本に米軍基地があるのか?
京都弁護士会というところに招かれて「憲法と人権を考える」会にて、日本外交について講演をする。
なぜ、私のような門外漢に外交を語らせるのであろうか。
だって、ほんとに門外漢なんだよ。
外国で暮らしたこともないし、外国政府高官にパイプがあるわけでもないし、外国の新聞雑誌だって一年に数回(観光旅行の飛行機の中で)しか読まないような人間に日本外交のこれからを語らせるというのはどういう了見なのでありましょうか。
前に『街場の中国論』を出したあと、公安調査庁の人が調査に来たことがあった。
表向きは中国の現状分析についてご意見を承りたいということだったが、どうも私がどこから「このような」中国国内情報を手に入れているのか、その入手経路をチェックしにいらしたようである。
何か先方と特別なチャンネルをお持ちなのですか?と訊かれたので、「中国についての情報源は毎日新聞だけです」とお答えした。
つねづね申し上げているように、情報というのは実定的なものには限られない。
実定的な情報のピースを並べて、「絵」を描くことは可能だし、「当然このことについて報道されていてよいはずの情報」が組織的に欠落している場合にも、そこで何が起きているかを推察することは可能である。
要は「文脈を読み当てる」ということである。
ジャン・ポーランは『タルブの花』の末尾に「焦点を合わせないで、ぼんやり眺めていないと見えないものがある」と書いているが、歴史の文脈というのも、たぶんそのようにしてしか見えないものだと思う。
自分一身の利害得失のことはとりあえず「棚に上げて」、『草枕』に言うように「ただこの景色を一幅の絵として観、一巻の詩として読む」というのはポーランの「ぼんやり」に通じる。
「画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起こらぬ。ただこの景色が、腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽しませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。」
景色を景色として眺めるときに、その土質やら植生やら、地価やら埋蔵資源やら、最寄り駅まで何分であるとか、もうすぐ新幹線開通とかいうことを知っている必要はない。
必要がないどころか、そんな情報はあるだけ景色の観賞には邪魔である。
それを堪能してもさっぱり「腹の足しにならず、月給の補いにならない」という条件が、非人情の骨法である。
いまわが国で政治について流布している語る人々にいちばん欠落しているのは、この非人情である。
むしろ政治を語る人たちはできるだけ感情的で、前後を亡ずるばかりに興奮し、義憤に駆られ、憂国の熱誠に浮かされていることをデフォルトに採用なさっているかのようである。
同じ話を蒸し返して失礼だが、先般の国会審議で、仙谷官房長官に向かって「怒り方が足りない」と怒っていた議員がいた。
察するに彼が理想とするのは北朝鮮のテレビニュースのキャスターがやっているような「怒髪天を突く」的オーバーアクションなのであろう。
だが、「かかる非道に対しては断固として正義の鉄槌が下されずんばならぬであろう」というようなことを眉毛をぴくぴくさせ、唇をわなわなさせながらテレビカメラの前で演じることがどのような外交的得点をわが国にもたらすと彼が考えているのか、私にはうまく想像できない。
ほんとうにそれが外交的にプラスになると彼が信じているなら、とりあえずNHKに出向いて、すべての政治ニュースを「北朝鮮」型の「眉毛ぴくぴく唇わなわな」スタイルで読み上げるように進言すべきであろう。
内政には気遣いや惻隠の情が必要だが、外交に感情は要らない。
非人情に徹しないと、何が起きているのかわからないからである。
自分の利害得失をとりあえず棚上げしないと「景色」は見えない。
私は「景色を見ること」「文脈を読み当てること」に興味がある。政治について、ほかのことにはとんと興味がない。
昨日の講演ではアメリカの西太平洋戦略について大づかみな話をした。
「大づかみ」もいいところで、モヘンジョダロとか黄河文明とかジョン・ウィンスロップのマサチューセッツ植民地構想とかアレクシス・ド・トックヴィルのアメリカ論にまで遡っての話である。
これくらい射程を広く取らないと、いまの沖縄基地問題の置かれている文脈はわからない。
「アメリカは西太平洋でいったい何をしようとしているのか?」
それがとりあえず最優先の政治的論件であり、これについて連日あらゆる角度からあらゆる情報を精査して議論することが何よりも必要だと私は思っているが、私の知る限り、この論件のために国会審議をしたり、紙面を割いたり、ニュースの解説時間を費やすことに日本人はきわめて不熱心である。というか、まるでしていない。
しかし、「アメリカは西太平洋でいったい何をしようとしているのか?」を問わなければ、在日米軍基地問題の解にたどりつくことはできない。
「アメリカが沖縄や日本国内に基地を引き続き持ちたがっている」ということから議論が始まっており、「なぜ、なんのために」基地があるのかについては、不問に付されている。
その理由が解明されなければ、日本人は何もできない。
「なんだかわからない理由で居座っている人をどういう言い分で立ち退いてもらうか」というような難問に解はない。
アメリカが日本にいる理由がわからない限り、基地問題の解はない。
けれども、日本人はその理由を意識化することを拒否している。
何度も言っているように、日本はアメリカの軍事的属国であり、日本には国家主権がない。
日本は自己決定によって外交を展開したり、条約を締結したり、核武装したり、戦争を始めたりすることができない(もちろん憲法は不戦を規定しているが、この憲法はアメリカからの下賜品である)。
私は核武装したり、戦争を始めたりしろと言っているわけではない(当たり前です)。
そうではなくて、核武装しないのも、戦争をしないのも、「しない」と自己決定したからではなく、「させてもらえない」からであるという現実は認識した方がいいと申し上げているのである。
日本は平和国家であり、そのことを私は心から喜んでいるが、それは日本人が平和的であることを選んだからではなく、平和的であること以外の選択肢を許されなかったからである。
結果は同じでも、プロセスが違う。
だから結果を変えろと言っているのではない。
こういうプロセスでこうなったという事実をクールにみつめた方がいいと申し上げているだけである。
その現実を直視しない限り、基地問題はある日アメリカが「あ、基地もう要らなくなったから、いいや。じゃあね」と不意に立ち去る日まで解決しないということである。
韓国の米軍基地は韓国国民のつよい反対運動によって、3分の1に縮小されつつある。ソウル駅近くの龍山基地は邪魔だからというので撤去された。
フィリピンのクラーク空軍基地とスービック海軍基地は米軍の海外最大の基地だったが、フィリピン政府の「出て行ってくれ」という要請に屈して先般撤去された。
どうして韓国やフィリピン政府にできることが日本にはできないのか。
というより、どうして東アジアにおける米軍基地の撤去が進んでいることについて、日本のメディアはおおきく取り上げないのか。
韓国やフィリピンと日本の違いは、アメリカとの同盟関係の軽重にあるのではない。
もちろんアメリカに強く出られるほど軍事力や経済力があるからという理由でもない。
日本は敗戦国だが、韓国やフィリピンはそうではない。
そこだけが違う。
敗戦国であることは恥ずかしいことではない。
歴史上無数の敗戦国が存在したし、帝国の属領になった土地も無数に存在する。そのすべての敗戦国や属領がそれだけの理由で国民的矜恃を失ったわけではない。多くはその後も絶えず叛乱と独立の機会をうかがい、しばしばそれに成功した。
敗戦国民の基本的なマインドセットは「臥薪嘗胆・捲土重来」である。
「次は勝つぞ」なのである。
それがいかに現実的に困難なことであっても、気概としては「次は勝つぞ」でなければならない。
その上で、「宿敵」アメリカとの歴史的和解を「主体的に、決然と、選択する」というのがことの筋目なのである。
そのような筋目を通していれば、基地問題は国民感情としては「ねじれ」ない。
それはアメリカの一方的な領土占拠であり、日本人は一丸となってこの全面撤去を求めるのが筋だからである。
それに対してアメリカが「自国の」安全保障上どうしても日本列島に基地が必要だと懇請するのであれば、日本政府がネゴシエーションのテーブルにつくのは外交オプションのうちである。
そして、こう訊くのである。
「いったい、どうしてアメリカは自国領土からこれほど離れたところに軍事基地をおかなければ安全保障が成り立たないようなリスクの高い制度設計をしているのか?あなたがたはいったい西太平洋で何をしたいのか?」
この問いに十分説得力のある回答が示されれば、私は一有権者として米軍基地が日本列島に置かれるというオプションを支持してもいい。いや、ほんとに。
基地問題を論じるときの最初の問いとなるべきこの問いを私たちは自ら封じている。
なぜ私たちはこう問うことができないのか。
まずはそこからだ。
なぜ、私のような門外漢に外交を語らせるのであろうか。
だって、ほんとに門外漢なんだよ。
外国で暮らしたこともないし、外国政府高官にパイプがあるわけでもないし、外国の新聞雑誌だって一年に数回(観光旅行の飛行機の中で)しか読まないような人間に日本外交のこれからを語らせるというのはどういう了見なのでありましょうか。
前に『街場の中国論』を出したあと、公安調査庁の人が調査に来たことがあった。
表向きは中国の現状分析についてご意見を承りたいということだったが、どうも私がどこから「このような」中国国内情報を手に入れているのか、その入手経路をチェックしにいらしたようである。
何か先方と特別なチャンネルをお持ちなのですか?と訊かれたので、「中国についての情報源は毎日新聞だけです」とお答えした。
つねづね申し上げているように、情報というのは実定的なものには限られない。
実定的な情報のピースを並べて、「絵」を描くことは可能だし、「当然このことについて報道されていてよいはずの情報」が組織的に欠落している場合にも、そこで何が起きているかを推察することは可能である。
要は「文脈を読み当てる」ということである。
ジャン・ポーランは『タルブの花』の末尾に「焦点を合わせないで、ぼんやり眺めていないと見えないものがある」と書いているが、歴史の文脈というのも、たぶんそのようにしてしか見えないものだと思う。
自分一身の利害得失のことはとりあえず「棚に上げて」、『草枕』に言うように「ただこの景色を一幅の絵として観、一巻の詩として読む」というのはポーランの「ぼんやり」に通じる。
「画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起こらぬ。ただこの景色が、腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽しませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。」
景色を景色として眺めるときに、その土質やら植生やら、地価やら埋蔵資源やら、最寄り駅まで何分であるとか、もうすぐ新幹線開通とかいうことを知っている必要はない。
必要がないどころか、そんな情報はあるだけ景色の観賞には邪魔である。
それを堪能してもさっぱり「腹の足しにならず、月給の補いにならない」という条件が、非人情の骨法である。
いまわが国で政治について流布している語る人々にいちばん欠落しているのは、この非人情である。
むしろ政治を語る人たちはできるだけ感情的で、前後を亡ずるばかりに興奮し、義憤に駆られ、憂国の熱誠に浮かされていることをデフォルトに採用なさっているかのようである。
同じ話を蒸し返して失礼だが、先般の国会審議で、仙谷官房長官に向かって「怒り方が足りない」と怒っていた議員がいた。
察するに彼が理想とするのは北朝鮮のテレビニュースのキャスターがやっているような「怒髪天を突く」的オーバーアクションなのであろう。
だが、「かかる非道に対しては断固として正義の鉄槌が下されずんばならぬであろう」というようなことを眉毛をぴくぴくさせ、唇をわなわなさせながらテレビカメラの前で演じることがどのような外交的得点をわが国にもたらすと彼が考えているのか、私にはうまく想像できない。
ほんとうにそれが外交的にプラスになると彼が信じているなら、とりあえずNHKに出向いて、すべての政治ニュースを「北朝鮮」型の「眉毛ぴくぴく唇わなわな」スタイルで読み上げるように進言すべきであろう。
内政には気遣いや惻隠の情が必要だが、外交に感情は要らない。
非人情に徹しないと、何が起きているのかわからないからである。
自分の利害得失をとりあえず棚上げしないと「景色」は見えない。
私は「景色を見ること」「文脈を読み当てること」に興味がある。政治について、ほかのことにはとんと興味がない。
昨日の講演ではアメリカの西太平洋戦略について大づかみな話をした。
「大づかみ」もいいところで、モヘンジョダロとか黄河文明とかジョン・ウィンスロップのマサチューセッツ植民地構想とかアレクシス・ド・トックヴィルのアメリカ論にまで遡っての話である。
これくらい射程を広く取らないと、いまの沖縄基地問題の置かれている文脈はわからない。
「アメリカは西太平洋でいったい何をしようとしているのか?」
それがとりあえず最優先の政治的論件であり、これについて連日あらゆる角度からあらゆる情報を精査して議論することが何よりも必要だと私は思っているが、私の知る限り、この論件のために国会審議をしたり、紙面を割いたり、ニュースの解説時間を費やすことに日本人はきわめて不熱心である。というか、まるでしていない。
しかし、「アメリカは西太平洋でいったい何をしようとしているのか?」を問わなければ、在日米軍基地問題の解にたどりつくことはできない。
「アメリカが沖縄や日本国内に基地を引き続き持ちたがっている」ということから議論が始まっており、「なぜ、なんのために」基地があるのかについては、不問に付されている。
その理由が解明されなければ、日本人は何もできない。
「なんだかわからない理由で居座っている人をどういう言い分で立ち退いてもらうか」というような難問に解はない。
アメリカが日本にいる理由がわからない限り、基地問題の解はない。
けれども、日本人はその理由を意識化することを拒否している。
何度も言っているように、日本はアメリカの軍事的属国であり、日本には国家主権がない。
日本は自己決定によって外交を展開したり、条約を締結したり、核武装したり、戦争を始めたりすることができない(もちろん憲法は不戦を規定しているが、この憲法はアメリカからの下賜品である)。
私は核武装したり、戦争を始めたりしろと言っているわけではない(当たり前です)。
そうではなくて、核武装しないのも、戦争をしないのも、「しない」と自己決定したからではなく、「させてもらえない」からであるという現実は認識した方がいいと申し上げているのである。
日本は平和国家であり、そのことを私は心から喜んでいるが、それは日本人が平和的であることを選んだからではなく、平和的であること以外の選択肢を許されなかったからである。
結果は同じでも、プロセスが違う。
だから結果を変えろと言っているのではない。
こういうプロセスでこうなったという事実をクールにみつめた方がいいと申し上げているだけである。
その現実を直視しない限り、基地問題はある日アメリカが「あ、基地もう要らなくなったから、いいや。じゃあね」と不意に立ち去る日まで解決しないということである。
韓国の米軍基地は韓国国民のつよい反対運動によって、3分の1に縮小されつつある。ソウル駅近くの龍山基地は邪魔だからというので撤去された。
フィリピンのクラーク空軍基地とスービック海軍基地は米軍の海外最大の基地だったが、フィリピン政府の「出て行ってくれ」という要請に屈して先般撤去された。
どうして韓国やフィリピン政府にできることが日本にはできないのか。
というより、どうして東アジアにおける米軍基地の撤去が進んでいることについて、日本のメディアはおおきく取り上げないのか。
韓国やフィリピンと日本の違いは、アメリカとの同盟関係の軽重にあるのではない。
もちろんアメリカに強く出られるほど軍事力や経済力があるからという理由でもない。
日本は敗戦国だが、韓国やフィリピンはそうではない。
そこだけが違う。
敗戦国であることは恥ずかしいことではない。
歴史上無数の敗戦国が存在したし、帝国の属領になった土地も無数に存在する。そのすべての敗戦国や属領がそれだけの理由で国民的矜恃を失ったわけではない。多くはその後も絶えず叛乱と独立の機会をうかがい、しばしばそれに成功した。
敗戦国民の基本的なマインドセットは「臥薪嘗胆・捲土重来」である。
「次は勝つぞ」なのである。
それがいかに現実的に困難なことであっても、気概としては「次は勝つぞ」でなければならない。
その上で、「宿敵」アメリカとの歴史的和解を「主体的に、決然と、選択する」というのがことの筋目なのである。
そのような筋目を通していれば、基地問題は国民感情としては「ねじれ」ない。
それはアメリカの一方的な領土占拠であり、日本人は一丸となってこの全面撤去を求めるのが筋だからである。
それに対してアメリカが「自国の」安全保障上どうしても日本列島に基地が必要だと懇請するのであれば、日本政府がネゴシエーションのテーブルにつくのは外交オプションのうちである。
そして、こう訊くのである。
「いったい、どうしてアメリカは自国領土からこれほど離れたところに軍事基地をおかなければ安全保障が成り立たないようなリスクの高い制度設計をしているのか?あなたがたはいったい西太平洋で何をしたいのか?」
この問いに十分説得力のある回答が示されれば、私は一有権者として米軍基地が日本列島に置かれるというオプションを支持してもいい。いや、ほんとに。
基地問題を論じるときの最初の問いとなるべきこの問いを私たちは自ら封じている。
なぜ私たちはこう問うことができないのか。
まずはそこからだ。
2010年11月18日木曜日
層流とは何か?
What is laminar/directional current? 層流とは何か?
Rivers and ocean in the world produce tremendous currents, but the water is pushed directionally, without turbulence. Fish and other aquatic animals have evolved to swim in this laminar current, often with little effort. A conventional pump produces a turbulent circular current, which pushes on the sides of an animal swimming into it, spinning its body around. Swimming in such currents is difficult for the animal and can be stressful if there are not enough areas of calm water in the aquarium. The Hydrowizard’s laminar current allows even small fish to swim in the center of the flow, as their streamlined shape allows them to stay in the flow with little effort. This fundamental difference in the form of the water flow produces an enormous change in an artificial environment. Within little time the animals will get used to the more natural flow of water and display more natural behavior, increased activity, improved appetites, reduced aggression and better overall health.
自然が生み出す驚異的な海流や河川流は一定方向へ水を押していく。魚や貝などの水生動物はこの水流の中で泳ぎ、進化してきた。そのため魚介類は流線型に発達し、水流の中で泳ぐためにつかうエネルギーは極僅かだ。従来のポンプは乱流かつ回転する流れの為、その流れで泳ぐ魚の胴体の側面を押すために、魚はスピンしてしまう。このような環境なかで泳ぐのは難しく、もし充分なスペースがなければ生体にストレスを与えてしまう。この製品がつくりだす層流はごく小さな魚でもその中で泳ぐことができる。魚の体型、流線型がほとんどエネルギーをつかうことなく居続けことができるのだ。この水流の違いが人工的な環境の中で大きな変化をもたらすことができる。導入まもなく生体は自然な水流に慣れ、本来の行動を見せるようになる。活動が活発になり、食欲がまし、攻撃性が減少し、総合的な健康が改善する。
The pump can be used as a single unit or simultaneously in a group, allowing endless possibilities to change the existing dynamics of any body of water. For nearly all fish, a straight laminar current would be present in their natural environment. Even lakes and seemingly still bodies of water in nature have currents, while oceans, rivers and streams have powerful directional movement. This environment of laminar current has been difficult if not impossible to simulate in aquarium conditions. The Hydrowizard presents a game changing solution to this problem.
What are some examples of fish environments that would greatly benefit from such a change?
Marine Reef species and all aquatic invertebrates will show much improved health and behavior with both strong current and waves to simulate the tides and weather of their environment in nature.
Marine Pelagic species such as sharks, tuna and others do best in strong currents and high waves. Changing the position of an array of Hydrowizard pumps allows the current in an exhibit to be reversed, solving issues with sharks and other fish used to swimming in the same direction all the time.
Mangrove fish and invertebrates can now be kept in a changing environment reflecting the tides, waves, and alternating currents found in mangrove habitats worldwide.
Rheophile fishes, including many native North American species, fishes from the Amazon, Orinoco, rivers of the Brazilian or Guyana shields, Congo or any habitat in Central America. For these species, one or more Hydrowizards can be used to create a current equal to that of their habitat, greatly reducing aggression and increasing vitality.
Lake fishes, such as the cichlids of the Rift Lakes, Great lakes temperate species and all fish found in apparently still bodies of water thrive with additional mild to medium currents and waves.
What behavioral enrichment is possible for marine mammals, birds and other animals?
The digital controller can be programmed for any period of time by updating the program with the use of an SD media card. This allows for specific programs to be written for animals such as seals, polar bears, penguins, otters, beavers, whales and others. The program will be different each day, changing from mild current to strong waves, currents coming from different directions, different depths etc. This greatly reduces boredom for the animals and gives husbandry staff another dimension to entertain the animals, or perhaps simulate seasnal changes in their natural environment.
Why does a venturi fed Hydrowizard add gases differently than a conventional pump?
Two low and one high pressure zone are created within the water flow of the pump. Gas bubbles grow from the intake to the rotor zone, where they enter a high pressure zone and collapse. Gas is diffused to reach maximum levels before the water enters another low pressure zone from just in front of the rotor to the exhaust. Here the remaining gas grows into large bubbles again and is ejected. This saturation allows no micro-bubbles to remain in the water, eliminating the problems with gas embolism caused by micro bubbles of excess gases clinging to the gills of the fish and entering the blood stream. It is absolutely safe to add any gas with the use of the Hydrowizard injector collar added to the back of the pump. With a 1/4„ hose, any gas (air, oxygen, ozone) can be injected in the intake path of the Hydrowizard to diffuse the gas to the water stream. Hydrowizard use in aquaculture The Hydrowizard will greatly improve the health and vitality of any aquaculture environment for fish and shellfish. As an additional benefit to those already mentioned, the fish will taste better due to a better distribution of fatty tissue throughout the flesh. Stocking capacities may be increased.
What are the effects of increased current in an artificial environment?
- Improved health and vitality of fishes and all aquatic species
- Reduced stress and aggression
- Ideal oxygen saturation
- Increased appetite of all animals
- Elimination of sediment and detritus
- Elimination of stagnant pockets of water hidden in decorations and the substrate
- Increase in dancing light effects from sun or lights above the surface
- Sand will pile up in small wave effects just like in nature
- Difficult rheophile and pelagic species thrive in laminar current environments
- Better fish health through increased exercise, reduction of fat deposits
- Added dimension for marine mammals and other aquatic species
- Added dimension for visitors and spectators
- Gas exchange happens principally on the surface of the water
- The added surface movement greatly benefits microorganisms involved in the nitrification process
2010年6月18日金曜日
内田さんのブログより
タイトルとおり内田樹さんのブログからです。
著作権にかかわる逸話でもっとも心痛むのは、ブライアン・ウィルソンのケースである。
ビーチボーイズの初期の名曲はウィルソン兄弟が設立した音楽出版社が権利をもっていた(ブライアンは端的に「自分がもっている」と思っていた)。けれども、グループのマネージャーだった父親は息子たちに嫌われ、音楽活動に首を突っ込むなと言われたことの腹いせに、権利を70万ドルで他人に売り払ってしまった。そのときのことをブライアンは次のように語っている。
「70万ドル?曲をただで渡すようなものだ。現在そのカタログは、2000万ドル以上の評価を受けている。しかし僕にとっては、それは金で買える類のものではなかった。それは僕の赤ん坊だった。僕の肉体だった。魂だった。そしていま、それはもう僕のものではなかった。」(『ブライアン・ウィルソン自叙伝』、監修・中山康樹・訳中山啓子、径書房、1993年、206頁)
そのようにしてブライアン・ウィルソンは父親から破壊的な精神外傷を受け、長い鬱の淵に淪落してゆくのである。
これはコピーライトの政治的使用のもっとも痛ましい例だろう。
たしかに、父親は法的手続きにしたがって、適法的に権利を行使した。
けれども、その意図はあきらかに「懲罰的」なものであった。
自分に反抗した息子に「罰を与える」ためにそうしたのである。
ほんらいクリエイターを保護し、その創作活動を支援するはずの法的権利がこのようなかたちで運用されるのはまちがったことだと私は思う。
著作権が権利として尊重されるのは、「それがクリエイターを保護し、その創作活動を支援する」限りにおいてであって、この条件を満たさないものについての著作権は認められるべきではないと私は思う。
クリエイター自身ではない著作権所有者が、他人の創作物の使用を制限したり、それについて「返礼」の支払いを要求したりすることに合理性があると私にはどうしても思えないのである。
著作権にかかわる逸話でもっとも心痛むのは、ブライアン・ウィルソンのケースである。
ビーチボーイズの初期の名曲はウィルソン兄弟が設立した音楽出版社が権利をもっていた(ブライアンは端的に「自分がもっている」と思っていた)。けれども、グループのマネージャーだった父親は息子たちに嫌われ、音楽活動に首を突っ込むなと言われたことの腹いせに、権利を70万ドルで他人に売り払ってしまった。そのときのことをブライアンは次のように語っている。
「70万ドル?曲をただで渡すようなものだ。現在そのカタログは、2000万ドル以上の評価を受けている。しかし僕にとっては、それは金で買える類のものではなかった。それは僕の赤ん坊だった。僕の肉体だった。魂だった。そしていま、それはもう僕のものではなかった。」(『ブライアン・ウィルソン自叙伝』、監修・中山康樹・訳中山啓子、径書房、1993年、206頁)
そのようにしてブライアン・ウィルソンは父親から破壊的な精神外傷を受け、長い鬱の淵に淪落してゆくのである。
これはコピーライトの政治的使用のもっとも痛ましい例だろう。
たしかに、父親は法的手続きにしたがって、適法的に権利を行使した。
けれども、その意図はあきらかに「懲罰的」なものであった。
自分に反抗した息子に「罰を与える」ためにそうしたのである。
ほんらいクリエイターを保護し、その創作活動を支援するはずの法的権利がこのようなかたちで運用されるのはまちがったことだと私は思う。
著作権が権利として尊重されるのは、「それがクリエイターを保護し、その創作活動を支援する」限りにおいてであって、この条件を満たさないものについての著作権は認められるべきではないと私は思う。
クリエイター自身ではない著作権所有者が、他人の創作物の使用を制限したり、それについて「返礼」の支払いを要求したりすることに合理性があると私にはどうしても思えないのである。
2010年5月21日金曜日
2010年5月19日水曜日
Alfajor
登録:
投稿 (Atom)
