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2010年6月18日金曜日

内田さんのブログより

タイトルとおり内田樹さんのブログからです。


著作権にかかわる逸話でもっとも心痛むのは、ブライアン・ウィルソンのケースである。
ビーチボーイズの初期の名曲はウィルソン兄弟が設立した音楽出版社が権利をもっていた(ブライアンは端的に「自分がもっている」と思っていた)。けれども、グループのマネージャーだった父親は息子たちに嫌われ、音楽活動に首を突っ込むなと言われたことの腹いせに、権利を70万ドルで他人に売り払ってしまった。そのときのことをブライアンは次のように語っている。
「70万ドル?曲をただで渡すようなものだ。現在そのカタログは、2000万ドル以上の評価を受けている。しかし僕にとっては、それは金で買える類のものではなかった。それは僕の赤ん坊だった。僕の肉体だった。魂だった。そしていま、それはもう僕のものではなかった。」(『ブライアン・ウィルソン自叙伝』、監修・中山康樹・訳中山啓子、径書房、1993年、206頁)
そのようにしてブライアン・ウィルソンは父親から破壊的な精神外傷を受け、長い鬱の淵に淪落してゆくのである。
これはコピーライトの政治的使用のもっとも痛ましい例だろう。
たしかに、父親は法的手続きにしたがって、適法的に権利を行使した。
けれども、その意図はあきらかに「懲罰的」なものであった。
自分に反抗した息子に「罰を与える」ためにそうしたのである。
ほんらいクリエイターを保護し、その創作活動を支援するはずの法的権利がこのようなかたちで運用されるのはまちがったことだと私は思う。
著作権が権利として尊重されるのは、「それがクリエイターを保護し、その創作活動を支援する」限りにおいてであって、この条件を満たさないものについての著作権は認められるべきではないと私は思う。
クリエイター自身ではない著作権所有者が、他人の創作物の使用を制限したり、それについて「返礼」の支払いを要求したりすることに合理性があると私にはどうしても思えないのである。